といっても、私はパネルの端を押さえていただけで、布を剥がしたり張ったりの手伝い。
普段は、奥さんと二人の子供の手を借りています、その日はあいにく外出中でした。
もともとキャンバス作りから下地、絵の具、保護剤、そして仕上げの額に至るまで全て自分で手作りされているのを知っていたので、普通であればそれほど驚く事でもなかったのです。
しかし目の前で剥がされ丸められて捨てられているのは、他でもない個展の為に完成されていた作品群。
よくテレビなどで、陶芸家が焼き上がった陶器が気に入らずに地面に叩きつける。
そして納得のいく風合いという物が出来るまでそれを繰り返す。素人目には殆どその違いが判らないようなところで芸術家は戦っている。そういう事を見せられます。
が、安藤さんがされている事は、それとは明らかに違う。
なぜなら、もし作品の完成度を求めるのであれば、その画面の上で、消したり加筆したりして自分の求める形に近づけていけば良い。
そうではなく、これまで自分を成功に導いてくれた技法、スタイルを捨てようとしている。
芸術家には二つのタイプがあるとよく言われる。
ひとつのスタイルで一生貫くタイプ。
それをひとつの出世作の焼き直しに過ぎないと感じ、それを超えるスタイルを探すタイプ。
さて、ここで難しいことを言っている場合ではない。
個展の期限は迫っている。
四部屋もある大きな画廊を埋めなければならない。
新しいテーマで描かれた作品はどう見ても二ヶ月はかかっている。
・・・三ヶ月経過・・・
5月、やっと二つ目の作品が出来ていた。あと十点は必要だろう。
本当に間に合うのであろうか?
・・・五ヶ月経過・・・
今は十月の末。
個展用の作品は全て出来ていた。(全19点)
その上、来年の五月のトレドでの回顧展に向けてさらに進化させた新しいシリーズの何点かが出来ていた。
全て百号を超える大作ばかり。
ただただ呆気に取られた。
彼の中ではもう個展は終わっているのだ。
次の作品のことしか考えていない。
芸術家というのは凄い生き物だ。
普段は、奥さんと二人の子供の手を借りています、その日はあいにく外出中でした。
もともとキャンバス作りから下地、絵の具、保護剤、そして仕上げの額に至るまで全て自分で手作りされているのを知っていたので、普通であればそれほど驚く事でもなかったのです。
しかし目の前で剥がされ丸められて捨てられているのは、他でもない個展の為に完成されていた作品群。
よくテレビなどで、陶芸家が焼き上がった陶器が気に入らずに地面に叩きつける。
そして納得のいく風合いという物が出来るまでそれを繰り返す。素人目には殆どその違いが判らないようなところで芸術家は戦っている。そういう事を見せられます。
が、安藤さんがされている事は、それとは明らかに違う。
なぜなら、もし作品の完成度を求めるのであれば、その画面の上で、消したり加筆したりして自分の求める形に近づけていけば良い。
そうではなく、これまで自分を成功に導いてくれた技法、スタイルを捨てようとしている。
芸術家には二つのタイプがあるとよく言われる。
ひとつのスタイルで一生貫くタイプ。
それをひとつの出世作の焼き直しに過ぎないと感じ、それを超えるスタイルを探すタイプ。
さて、ここで難しいことを言っている場合ではない。
個展の期限は迫っている。
四部屋もある大きな画廊を埋めなければならない。
新しいテーマで描かれた作品はどう見ても二ヶ月はかかっている。
・・・三ヶ月経過・・・
5月、やっと二つ目の作品が出来ていた。あと十点は必要だろう。
本当に間に合うのであろうか?
・・・五ヶ月経過・・・
今は十月の末。
個展用の作品は全て出来ていた。(全19点)
その上、来年の五月のトレドでの回顧展に向けてさらに進化させた新しいシリーズの何点かが出来ていた。
全て百号を超える大作ばかり。
ただただ呆気に取られた。
彼の中ではもう個展は終わっているのだ。
次の作品のことしか考えていない。
芸術家というのは凄い生き物だ。